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投稿ありがとうございました。
1)骨の変化は食性でも説明つくこともあると思います。例えば戦後身長が高くなったのも、占領軍との混血を考えなくても、食性が変わったためで説明できます
2)しかし、縄文人と弥生人との骨格が大きく異なることから、弥生人が持ってきた米を縄文人が食べて、弥生人と同じ骨格になったとは考えににくいと思います
3)稲そのものは縄文時代からあり、陸稲(おかぼ)として畑で作って食していました
4)弥生人が持ってきたのは、稲ではなく水耕稲作システムでした
5)稲は1本で植えるより4~5本束にして植えた方が収穫が飛躍的に伸びることや秋になったら水を抜くことで収穫が増えることなどのノウハウ、鉄器や田下駄などによる効率よい耕作方法、灌漑をして水を確保することなど、水耕栽培全体のシステムをもってきたことです
6)これらは縄文人が突然や進歩で習得できることではないと思います
7)結局数度の渡来により、弥生人と共にいろいろな稲作システムが伝わってきて、日本に定着していったのではと思っています
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