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青年座が神戸へ来る日までとうとう1週間を切りました。一人でも多くの人に『評決』を見て欲しいという思いで書き込みました。せんだって5月21日の朝刊各紙は、1年後から裁判員制度が始まることを報じていました。
昭和3年日本に、市民が裁判に参加して、被告の有罪か無罪を決める陪審員制度が日本にありました。『評決』は東京で始めて開かれた陪審員裁判をモデルにした舞台です。裁判所も見たこともない百姓、床屋、蕎麦屋、銀行員、円タク運転手など、私たちと同じ市民12人が、放火で夫、姑を焼死させたと起訴された被告人吉田静子を裁きます。「あの女はやっているよ」「分別のある女じゃないか」「本当にわかんねす」決めつけ、不安、無関心を抱えながら、三日間、話し合いを進めていく中で、12人は打ち解け、お互いの立場や考えを理解し、事件の真相を突き止めます。「私はやっていません」毅然と無罪を主張する吉田静子。当時、被告人は、陪審員による裁判か、裁判官によるものか選択できたのです。女性が陪審員にもなれなかった時代に、彼女は陪審員制度を選択したのです。興味はつきません。
3月に川崎市で親子劇場が主催した『評決』を観ました。客席はほとんどが小学生5,6年生たち。休憩のない2時間の舞台。昭和初期の民衆の会話と舞台は裁判用語、それでも子供たちは物音ひとつ立てず、客席は緊張感あふれる舞台。終演後、子供たちに「どうだった」と聞いてみると「うん、よかったよ」
東京公演では追加公演も決まり、「『陪審制』芝居で体感を」など新聞評が出ています。
6月例会を担当している運営サークルでは、せめて4月例会会員数より、1名増やして劇団を迎えようと、友人、家族へと広げています。退会した人が多かったなかで。次第に動きも多様になり、後12名まできました。この例会を成功させて、東京、京都、神戸公演だけでなくこんな芝居こそ、全国へ発信させたいと思っています。
「もう少しで始まる裁判員制度。もしかしたら私たちも将来、選ばれてしまうかもしれません。その時、この劇のような殺人、死刑できるようになったとき、私はお百姓さんのようになると思います」子供たちの感想です。私たち大人は、将来ではなく年末には裁判所から裁判員にという通知が届きます。
久しぶりの書き込みで長くなりました。6月1日から始まる『評決』を、文化ホール客席で心地よい緊張感を味わいませんか。
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