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http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000000911010003
(中略)
>「生活態度が悪い」のも不合格にする理由の一つですが、子どもの生活態度は、その子が置かれている状況で変わります。僕は、すべての子どもに可能性はあると思っています。一つの時点で判断するのは、早いんじゃないか。成績が悪く、問題行動を起こす子どもというのは、経済的に困難な場合が多いのです。そういった子どもをこそ積極的に受け入れて欲しい。公教育は、すべての子どもの幸せのためにあるべきです。
平和教育も課題です。(文部省が98年に教育現場に様々な是正を求めた)「是正指導」以前は、県内の大半の学校で行われていたのに、今はごく一部に限られています。福山の小学校では最近、恒例だった平和記念資料館(広島市)への社会見学を校長がやめようとして、保護者の猛反対で撤回したことがありました。平和教育や人権教育に対し、県教委や市教委から直接的な指示がなくても、校長が自己規制するムードが現場には今もあるのです。
現在教えている短大の授業で福山市人権平和資料館を見学するのですが、「初めて行った」という福山市出身の学生が毎年何人かいます。市内の小中学校では8月6日とともに教えられていた、8月8日の福山空襲を知らない地元学生もいました。以前であれば考えられないことです。平和について無関心な層を生みださないために、平和教育はやらなきゃいけないと僕は思います。これは人権教育についても言えることです。
朝日新聞の昨日、広島版より抜粋
なるほど、分かることも有りますが、広島県の教育の現状は、一部に光を当てすぎるために、まったく平等な教育が万人に行えなかったことが原因であると気が付かないのでしょうか?それは、学校関係者に限らず、親をはじめとする普通の市民がこうしたことに責任を放棄した行動にあるのでしょう。
知識や行動が次世代高等教育の教育を受ける上で、未発達であるならば、そのレベルにくるまで、教育するべきでしょう。ただし、それは、県をはじめとする公共機関ではありません。親をはじめとしたところで行ってください。こうした、いわゆる困難者(教師側も生徒側も)の起こす影響で、まともな授業ができないから、私立に流れる現状をどのように認識しているのでしょうか?
公共機関に教育をゆだねるのであれば、困難者を社会に出す教育を(家庭やその他の機関で)施してください。
社会は、困難者だけのものではありません。また、社会は、厳しいですが、困難者を受け入れてはくれません。社会に適応できる人間しか受け入れてはくれません。社会に適応できる人間になるためには、困難者が、いつ、どのようにして気が付くかです。算数や国語ができなくても、社会に適応でき、努力していれば、社会は(人間は)受け入れてくれます。
困難者だからと、助けを請うのはやめてもらいたい。
この記事は広島県知事選挙の特集でありますが、新しい県知事には、弱者に光をあてることばかりはしないでもらいたい。困難者と言われるかたは、困難者とは思わず、努力をしてもらいたい。困難者=あまえ、と思われないように・・。
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