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またまた単刀直入に「公」「私」に当てはめて読み解いてみる.
西洋からもたらされた「民主主義運動」と「活版印刷」による出版技術の革新は,外骨の同時代人に「新しいおもちゃ」をもたらした.
それは,「私人として自由に発言する」ことであり,しかも「印刷」に依れば,迅速かつパワフルに流布することが出来る.楽しいじゃないか! 弁の立つものたちは,こぞって出版に身を投じることになったのでしょう.
外骨が発行した「滑稽新聞」は,あることないこと書き連ねたタブロイド紙まがいの,「怪しいけれど,もしかしたら本物が含まれてるかも知れないおもちゃ箱のような」もの.そんな自分の宝物を披露した途端,おおっ,黒山の人だかりじゃん! 楽しくないはずがない.
「私」としての発言の自由は,眉をひそめた思想家の「小難しい議論」とは対極のもの.むしろ,スピードアップした江戸諧謔のようなもの,だったと言えば正しいかも知れませんね.
しかし,それが「眉潜めた言論活動」であろうが「笑い飛ばしながらの諧謔」であろうが,「公」のしがらみのない「私」の視点特有の爽快感を含んでいたことも,また真理なのだと思います.
ただ,外骨は最後に感づいたのじゃないかと思います.
「私」は,あくまでも「外野」.「虎穴に要らずんば虎児を得ず」.フィールドに立たなければ野球が出来ないのと同じように,幾ら「ビール片手の野球観戦で二流監督を批判した」ところで,「何も起こらない」,「何も起こせない」.
しかし,まっすぐ真正直に「公」に身を投じるには,もはや時遅し.立場から言っても,体質から言っても,どこまでも「私」を貫く道しか残されていなかった,,,何だか昨今の「ニート君」を彷彿とさせますな.
しかし外骨の非凡なところは,嘱託という絶妙な立ち位置で「公」の権化「帝大」に席をおいたところですよね.彼なりの「公」への,最大限の歩み寄りだったのでしょう.素晴らしいことです.皮肉でも何でもなく,それ故に自らの細々とした著作までが,きちんと保存されることになったのですから...
しかし外骨は,あくまでも「私欲」で「公」に迎合したのではないのでしょう.ただただ,かつて個人個人が勝手に遊んでいた明治の出版文化,それを誰よりも愛し,その痕跡を何とかして後生に残したい,と誰よりも強く願ったまで.でもだから,素晴らしい.
こんな戯れ言を書いていると,「草枕」がこなの頭の中で妄想変形していくのです,,,
「私」に働けば,角が立つ.
「公」に竿さしゃ,流される.
意地を通せば,窮屈だ.(ここはママですな),,,
最近,漱石に江戸諧謔の流れを読み取れるようになったこな少年の心の中で,朝日新聞連載の「草枕」と「大阪滑稽新聞」の外骨が,忽然一体となって「あの時代の臭い」を発しはじめるのです.
そこには「公」と「私」の対立などない.「正統」と「異端」の境界線もない.はたまた,「西洋流入」による「江戸文化」の断絶も,さらにはこの手の話にお決まりのように付いてくる「暗黒の日本」など,一っかけらもない.リアルな熊つぁん八つぁんとしての外骨が,大手を振って闊歩している.「スコブル」という雑誌をひっさげて,スコブル楽しそうに闊歩している姿のみが,彷彿とされる.むろん,漱石も同じ.おなじ褞袍をを着て,同じ下駄はいて,同じ山高帽をかぶって,同じ市電に乗っている.そして小脇に「坊ちゃん」.
気楽で気さくで,ちょっとおっちょこちょいで,でも根は正直な坊ちゃん,そんな「明治人の源像」に,漱石も,外骨も,とけ込んでしまう.いや,二葉亭やらの文士であろうが,その他十把一絡げの物書きたちも,みーんな一緒.結局は一緒.
いつも戯れ言ばかり言っている長屋の親父に,ちょいとブログでも書いてみたらとけしかけたら,あれよあれよという間に「人気サイト」にランクイン! ええじゃないか! ええじゃないか!
たまに行きすぎて「削除警告(発禁)」受けたりするが,まあ,そんな「名誉の負傷(監禁)」も人気のうち.ねえこなさんとやら,アンタもそんな小難しい知ったかぶりばっかりしてる暇があったら,もっと楽しい話カキコしんさいよ.ホラホラ,いまの職場でも色々とあるんでしょ,ぶっちゃけ話がさぁ...
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